「おとうと」を観てきた

市川崑監督の「おとうと」は観てない。キムタクと斉藤由貴がドラマで姉弟役を演じた「おとうと」は見た*1幸田文の原作はもちろん読んだ。
でも、まさかいま公開中の山田洋次監督の「おとうと」が、市川監督のそれへのオマージュだとは知りませんでした。ニブイねw


昨日の東京は氷雨。久しぶりに人の多い休日の渋谷に繰り出したため、お腹冷えるわ人の混雑にうんざりするわで、田舎モンは大変です。しかも思いの外作品は人気があって、開演時間少し前に呑気に出向いたら「満席です」、だって!仕方ないのでその次の回を観たけど、観客の年齢層の高いこと高いこと!決して若くはない自分ですら、若い方に入ってたに違いないw 大体60代が中心て感じかなあ。


※以下、ネタバレ気味になるので、これから見る予定の方はここでやめておいて下さいまし。


で、内容ですが。
話はもうベタですよ。「おとうと」だから。でも姉が吉永小百合なのに弟が釣瓶ってのは、遺伝的にどうなんだろう?ありえなくね?とは誰しもが思ったことであろう。
薬剤師というカタい仕事で自立し、夫亡き後一人娘を再婚もせず育てる姉と、酒と博打と女にからきし弱くロクな定職にも就いていない弟。常に弟のやらかす尻ぬぐいをしてやるしっかり者の姉役に吉永小百合はきっと合っているんだと思う。でも、うーん・・・私はこの人の演技って・・・いや、皆まで言うまい。あれこそがサユリテイストなのだ、きっと。

弟役の釣瓶はもう、「うは、やっぱりこの人はうまいんだなあ!」と思わされちゃう。前半、酒での失態を重ねる下りは、私がアルコール依存の人に嫌悪に近い感覚を持っているため*2、もう観てられなくなるくらい、ウマい。


ネタバレというか、「おとうと」だから最後は当然そういう展開になるけど、弟が終の棲家とするドヤ街のホスピス、ここがすごい。実際にあるみたいだけど、純然たる医療施設というより、本当に終末期の患者を看取るのに専念してる場所で、そこに特化した「居心地の良さ」の追求にびっくり。他人の死なのに。あんな風に看取れちゃうんだ・・・。*3

私事になるが、私も父をガンで亡くしている。最期の描写は父のそれを思い出させられて、つらかった。いや、映画は決して悲惨な場面になってるわけじゃなくて、むしろ崇高で暖かい旅路になっている。ただ、父の闘病時期が自身の妊娠、出産時期と重なったので、満足に見舞うことが出来なかった期間があった。父の最期の瞬間にも立ち会えなかったので、未だにそのときのことが引っかかっているのかもしれない。
乳飲み子を抱えて喪服を着て、焼香の合間にも授乳やおむつかえが必要だった、あのとき。いろんな意味で仕方なかったと思うし、何より孫の誕生を喜んでくれた父だったから、みんなに「元気な子を産んだだけで、もう十分親孝行よ」、と言われたけど。― 私はやっぱり、まだ自分を許せてないのかもしれない。そんな感情を思い出してしまった。あの吉永小百合ホスピスの人たちみたいに、最期の瞬間を迎える父の側にいたかったなあ。自己満足かもしれないけどさ。


他にも、蒼井優ちゃん(吉永小百合の娘、釣瓶の姪役)が最初の結婚式のときにウェディングドレス姿で「お母さん、今までありがとう・・・」みたいなベタな場面で、「うえええん、娘にこんなこと言われたら泣く!絶対泣く!!!」と涙腺崩壊したし、蒼井優ちゃんを側で常に見守る幼なじみ役の加瀬亮には「あああ、やっぱり加瀬亮、いいなあ!最初からこっちと結婚しとけばよかったのに!」と萌えまくりだったし、何のかんのいって楽しんできてしまった。
ベタというより、主に女性や結婚とかのジェンダーの部分で「ああ?この描写や認識は、一体昭和何年の話?」みたいに思うところはいくつもあったけど、まあしょうがないよね。監督の年齢からすれば、さ。


それより、小さい上映館だったけどそれを満席にする集客力があり、途中何度も観客が鼻をすすり上げるポイントをきちんと押さえた映画を今でも作れる。山田監督はやはり、寅さん映画を撮らなくなっても「現役の人」なのだなあ、と思わされた。
おくりびと」観たときも思ったけど、題材がすでにずるいっちゃーずるいのだ。子どもの結婚、離婚、新しい恋の始まり、というものと、身内の最期を看取る、という話はさ。ある程度の年齢と家族を持った人には、ツボにハマりまくりというか、鉄板の話題だから。
で、私自身、どちらかというとそれよりも「もっと新しい世界が観たい」、と思う方だけど。そういう「前、前、前!もっと次、次!」とせわしく時代を追い立てる空気や、それへの虚脱感や厭世に満ちた映画ばかりじゃ、何が多様性のある世界なものかと。

映画館に集まった60代以上の観客たちはみんな、あの世界に浸って涙を流し、暖かくすっきりとした気持ちで家路についたはずだ。そういう「2時間の旅」を提供する側と、受取る側。どちらも映画に同じものを求めていた、幸せな時代(多分、それを「昭和」という)。みんなが批評家みたいに「あの構図が」「この描写が」「○○の演技は」とかいう目でエンタテインメントを「評価」しなかった時代。そういう時代を共有した人たちが、この映画を一緒に作り上げている。そんな気がした。


そして自分はと言えば。
「昭和」と「平成」の狭間で、どっちつかずな諸々に取り囲まれている。新しい世界がみたいと思いつつ、自分の価値観はやはり古いものに縛られている。そんな自分の産んだ子どもたちは、明らかに新しい時代を生きていく人たちだ。
どうしていま、自分はこれをやりたくて、やりたくないのか。どうしてこっちには心動かされ、あっちは受入れられないのか。そこに明確な答えが出ないまま、いい歳をして相変わらず「自分」を探している。私は、これからどこに向かえば「私は、これでいいんだ」と思えるようになるんだろう?


新しい世界を希求する自分と、ベタで昭和なものに取り囲まれて育った自分。映画は直接、そういうものに関して訴えかけるわけではないけれど。そんなことをちょろっと考えさせられた映画でございました。

*1:結構好き。キムタクが弟の雰囲気に似合ってたよね〜

*2:自分の中にも「依存」体質があるのをとても恐れているので、同族嫌悪に近い感情なのだと思う。もし必死に治療に向き合ってる方、読んで気を悪くされたらごめんなさい。

*3:所長が小日向文世、パートナーが石田ゆり子。ぴったしw 石田ゆり子が釣瓶に向かって最後に言う言葉は、身内には決して言えない、でも暖かくて素晴らしく世界を「受容」した言葉だと思った。