息もできない


シバラマー・・・!


いやあ、面白かった。この言葉、「クソッタレ」みたいな汚いスラングらしいけど、主人公のチンピラヤクザ・サンフンの口癖なので、もう何度も何度も出てきて覚えてしまう。



暴力シーンがかなりキツイという前評判だったので、相当覚悟して観に行ったけど。あにはからんや、それほど自分にはキツくはなかった。*1
北野武監督作品を最初に観たときの方が、「あああ、お願い、もう勘弁して〜・・・!」って感じになった記憶が。映画の中の暴力表現に慣れたのかな。

でも、決して表現がヤサシイとは思わない。実際、上映中も二人ほど途中で出ていってしまった人がいたから。苦手な人はやめといた方がいいと思います。


この作品を評すとき、北野作品と「竜二」をみんなが持ち出すのはわかる。でも、自分には湿っぽさがそれらほど嫌味には感じられなかった。なんでかなあと思ったのだけど、バイオレンス=愛情の欠如を描くとき、日本の映画は「母」にそれを求めるけど、この「息もできない」は「父」にそれを向けているせいじゃないだろうか。

冬のソナタも」も大好きなんだけど、あれは「父の不在」を乗り越える男性の物語だ、というのが持論の自分としては、この痛さは望むところというか、かなりツボだった。


サンフンと出会う女子高生・ヨニとの関係に、恋愛的要素がないところもいい。
二人がそういう関係にならないのは、韓国は処女信仰が日本以上に強いから、という意見も読んだけど。うーん、そういうものかなー。ちょっと違うような。
あの二人は、年齢的にはサンフンの方が年上だけど、お姉さんなのはヨニの方だ。同志というか、姉弟みたい。お互い、現実の家庭でうまくいってない部分を、二人の間でもう一度やり直してるかのよう。


漢江でそれまでの父へのわだかまりをほとばしらせるように、ヨニの膝を枕に泣くサンフン。
サンフンの涙に誘われるように、自身も抱える父への思いからやはり涙をこぼすヨニ。
お互いの存在は、この涙のためにある。とても美しいシーンだ。


でも自分が泣けたのは、ヨニとサンフンが初めて街をさまようシーンと、そのあとにサンフンの甥っ子・ヒョンインを交えて、三人で街を歩くシーン。
セリフも他の音もなく、ただ音楽だけが流れる。
「父」という存在の暴力によって傷つけられた三人が、そこから解き放たれて過ごす、束の間の幸せな「家族」の時間。
合間に何度も挿入される食事のシーンも、いろんな形の家族や愛情の形を表していると思った。


タイトルのように、「息もできない」ほど圧倒される展開か、というと、正直いってそこまでのものはなかった。
サンフンがいい人なのは途中でわかってしまうので、いずれ彼らが迎えるであろう哀しい結末も想定できてしまったから。

でも、この「息もできない」は、ハラハラドキドキの展開で息もつけない。そういう意味じゃない。


妹を、母を、この手で守ってやれなかった自分。
愛情と憎悪が入り混じり、父とは(憎悪したはずの)暴力でしか語り合えない自分。
腹違いの姉、その姉の子であるヒョンインを愛しく思いながら、素直にそれを口にできない自分。


それら全ての思いを表す言葉が、シバラマー。
そう、「クソッタレめ!」という思いは結局、すべてサンフン自身が自分に向けているものだ。
本当の自分の思いは、いつも口に出来ない。その息苦しさ。
原題は「糞にたかるハエ」、という意味らしいけど、この邦題はなかなかうまいと思う。


クソッタレな人生から解放される手段が、ヨニの弟・ヨンジェがサンフン自身から継承した暴力である、というラストは重い。そこに気づいたヨニはこの後、どんな人生を送るのだろう。


とても詩的な映画でした。
もう一度ゆっくり観てみたいかも。

*1:多分、拳で殴ったり蹴ったりが中心だからだと思う。耳の中に箸突っ込んだり、拷問で爪の間に針突き刺したり、っていうシーンは本当にダメなんだけど、そういうのはこの映画では出てこない。でもハンマーで殴るのは痛そうだねー・・・