長崎・日本二十六聖人に寄せて


春休み、家族旅行なんぞに行って参りました。二泊三日の長崎旅行。


長崎というチョイスにはあまり私は関与してないんだけど(夫が勝手に決めたw)、行くなら絶対現地で見たい!と思ってたのが 「長崎26殉教者記念像」。

10代の頃から彫刻家・舟越保武さんが好きで、彼の作品を二十六聖人殉教の地である長崎で直に目にする、というのがこの旅の最大の目的だった。

舟越保武さんのプロフィールはこんな感じ。最近では、息子さんの舟越桂さんの方がよく知られているのかも。

永遠の仔〈上〉

永遠の仔〈上〉


学生だった当時、実家でとっていた新聞に、よく舟越保武さんのデッサンが掲載されていた。静謐で清らかな、でも凛とした強さを感じさせる画風。穏やかだけど淋しさも湛えたまなざしを持つ女性像に、いま思えば憧れのような理想を投影しながら目にしていた気がする。

それがある日、ぱったりと掲載されなくなった。数ヶ月にわたり彼のデッサンが掲載されることはなく、もうあの作風を目にすることはないのかな、と思っていたある日。
脳梗塞により右手の自由を失ったものの、残された左手で描き始めたというデッサンが掲載された。


それまでのなめらかに流れるような線で描かれた女性の横顔ではなく、いかにも不自由な手で描かれたという感じの不器用な線。でも、その絵を見た時の衝撃は忘れられない。


この人は、まだ描く気なんだ。こんなに無様な(と、失礼にも当時の自分は思った)作品を晒しても、まだ追い求めたいものがある人なんだ。


高校〜大学の間、多分自分の人生でもっとも暗い時期。そのときに目にしたこの老彫刻家の生きることへの強い意思は、そうしたものに憧れつつ、現状を変えることが出来なかった当時の自分には、打ちのめされるほど激しい情熱に思えた。


以降、展覧会に足を運んだかと思えば、自分の生活が忙しくてすっかり忘れたり、と若干波がある時期を繰り返しながらも、彼の作品にはずっと惹かれたまま時は過ぎ。
今回偶然にも、彼の出世作である 「長崎26殉教者記念像」を目にすることが叶ったのだった。


日本二十六聖人の話題だけでもかなり長くなってしまうのでそれは端折るけど(詳細はこちら→)、画集で見るのとはやはりわけが違う、その大きさにまず圧倒される。


そしてまず目につくのが、中央からやや右側に位置する明らかに背の低い二人の少年の像。
一人はルドビコ茨木・12歳。その左隣はアントニオ・13歳。
(彼らよりずっと左側にも、トマス小崎という14歳の少年がいる)


ルドビコは父・パウロ茨木、叔父・レオン烏丸と共にこの殉教者の中に名を連ねている。あまりに幼いので「信仰を捨てれば助命してやる」という申し出があったにも関わらず、彼はそれを丁重に断っている。
刑場では自分が磔になる十字架を教えられ、喜んでそれに駆け寄り、最期のときまで賛美歌を歌い「パライソ(天国)」と叫ぶ12歳の少年――

この無邪気な信仰心は、現代に生きる自分からすればもはや狂気だ。初めての恋が、転がるようにお互いの破滅へと向かう「ロミオとジュリエット」の二人の年齢をふと思い出す。


二十六人の殉教者たちは、左右の脇腹から肺、心臓めがけて槍で突かれた末、失血死に至ったという。それでも絶命しないものは、心臓や首にとどめを刺された。

京都で捕縛された後、罪人として左耳を削がれて引き回されながら、長崎までおよそ1000キロの道のりを歩む死の行程。最後には磔上での失血死によって果てる殉教者たちの姿は、惨たらしく無残なものであったはずだ。


この悲惨な最期の姿を、舟越氏は清らかな正装と、意思を持ったまなざしで昇天していく姿で表現している。

リアルにその悲劇性を描くことは出来るけれど、敢えてそれをせず、その精神性にのみフォーカスして彫像にする。私は、彼のこうした解釈がとても好きだ。


つらい現実の渦中にあっても、少しでも美しいものを見つけようとする静謐な生き方と、それが反映された作品群。そのひとつに、二十六人がまさに殉教した地で対面できた時間は、とても幸せなものだった。


そんな生き方が自分の理想だ、なんて恐ろしいことは思わないけれど。

他人から見て「どうして?」と思えるものに夢中になって、でもそれがないともはや、自分が生きてる気がしなくて。
どうせ夢中になるなら、それが少しでも美しい形になればいいのに、なかなかそう出来ない自分の至らなさに歯噛みして。でも、そんな自分の弱さを受け入れる過程にもまた教えられることが多くて。


そんな自分がつかみかけてる「何か」と、彼らがみつめ、舟越氏が表現しようとしたものがほんのちょっとでもシンクロしてたらいいのに。

関東より早めに桜が開花した長崎。殉教の地・西坂の丘で、僭越ながらそんなことを思いながら、桜の舞う風に吹かれていた。