バレンタイン狂想曲


先週はバレンタインデーでしたね。
よいこの皆さんはたくさんチョコもらえましたか? (バキッ!アウッ・・・!(o ̄ー ̄)=O☆(ノ_ _)ノ)


わが息子には身内からしか届かなかったし、特に何の話題もなく過ぎたなと思っていたら。意外な伏兵は学校に潜んでいたのでありました・・・


昨今、女子から意中の男子への告白ツールと言うよりは、女子同士の友チョコというコミュニケーション・ツールと化しているチョコレート。クラスのほとんどの子に渡すとなるとその数も相当なはずで、手作り、市販を問わず女の子たち(と、その母親)の準備は大変そうだな、とは思っていた。

でも、一番大変なのはなんといっても受け渡し。学校に持参してクラスで配れればいいけど、大抵学校って「学業に関係ない持ち物の持参は禁止」なわけで。


自分ちには直接関係なかったので、みんな校外で放課後に渡しあったりしてるのね、程度に思っていたら。

なんと、息子の学年の約半数が持ってきちゃいけないのにクラスにチョコを持参して配りまくり、校内に包み紙を落っことしたコがいたせいで学校側に総バレ。激怒した学年主任がその学年全員を招集してお説教のあと、反省文書かせただけでは飽きたらず、その文章を親に読ませた上でコメントまでもらってこい!という事態になっていたそうな。すげ〜、なんだか「ここまでやる?」って気もするけど。


先生の言う「集団でルールを破るなんて、学校生活の一員としての自覚に欠ける」という指摘はごもっともだ。
そもそも大量のチョコを子どもだけで調達出来るわけないから、配ったコの親もまた自覚が足りないと言われればそのとおりだろう。


――でもさ。
小学校時代のバレンタインの思い出が、お説教と反省文の宿題に化けちゃった子どもたちも、なんだか可哀想だよな。

モノを介して他者とコミュニケーションするって、言語によるコミュニケーション力を十分に持たない子ども時代には結構重要なことだと思う。
同じ物を同じ瞬間に共有することで、「私たち友だちだよね!」って言いたくなる時期があって、それはバレンタインの友チョコには限らない。


自分はそういう「みんなと一緒」がキライな可愛げのない子どもだったので、その手のコミュニケーションとは無縁だったけど。
お陰で割と長いこと中二病をこじらせて、暗〜い青春を送るハメになった立場からすれば、罪なく友チョコ交換ではしゃいで同じ時間と思いを共有できるコたちの方が、よっぽどコミュニケーション上級者な感じもする。*1


もちろん学校のルールはルールなので、息子にそんなことは言わないけど。


楽しい時間が苦い思い出に変わっちゃったこと、このコたちはどんな風に記憶していくんだろう。

いつか、友チョコ配りまくって失敗した子ども時代を笑い話に変えて。
誰か一人に本命チョコあげるような女性になっていくのかな。


頑張れ、女の子たち。今回の失敗はきっといつか、別の形で実を結ぶはず。

そして男の子たち。もらってももらえなくても、君の魅力は変わらない。いつか、本当に君を想ってくれる人から、君が望むような形で、あたたかい気持ちが届くことを祈ってます。


※なぁ〜んて安易に日和った結びにしちゃったけど。「バレンタインはもはやハロウィン化しとる」という意見も。確かに。
もう昔のような告白系イベントとしての役目はとっくに終えてるのかもしれない。

*1:最終的には自分なりの方法論を編み出すしかないので、早い遅いは関係なくなるけどね。