長い眠り

眠っているその顔は、相変わらず美しいままだ。大きな目と長い睫毛、陶器のような頬。でも、彼女の目がふたたび開くことは、もうないのだった。


私の数年あとに、同じ大学の同じ学科を卒業し、同じゼミの教授のつてで私の勤務先に配属されてきた彼女は、私の下についてくれた数少ない後輩社員だった。

美人で明るく、話し方もシャキシャキしてたので、安心して作業を任せると肝心なところは聞いてない。長く説明していると、そのうち意識が飛ぶ。なんだか見た目とずい分雰囲気が違う人だったけど、なぜか憎めない。でもそれってやっぱり美人だから?なんとなく微妙な感覚を覚えつつ、数年を共にした。


会社で新しいプロジェクトが始まり、当時私が信頼していた先輩と彼女がそのプロジェクトにつき、そのまま新しい部署を立ち上げることになった。
ものすごくハードな部署で、彼女大丈夫かなあと思っていたけれど、思いの外がむしゃらさを発揮して懸命についていった。見直した、というのはおこがましい。彼女のこなした役割はおそらく、私には務まらないものだった。


その数年後、ハードな業務に加えて部署の進む路線と自分の方向性の食い違いを感じ、彼女は退社する。
同じ部署にいた同期の女性の名をあげて、彼女はこう口にした。

「◯◯みたいに割り切れたら、続けていけたかもしれませんけど・・・」

その言葉に含まれた懊悩に、ロクな言葉もかけられない名ばかりの先輩もどきだった私なのに、彼女は健気にも何度かハガキを寄こしては近況を教えてくれていた。


彼女の人生の転機と思える事態があったとき、一度だけ長い手紙をもらった。しかし、自分のことで手一杯だった私はこのときも大した返事をせず、気にかかりつつお互い何度か転居を繰り返し、その手紙もいつしか途絶えてしまった。


彼女の親しい友人経由で、北欧の住宅政策について現地に行って勉強していると聞いた。すごいなあ、カッコいいなあ。それに引き替え、私ったらいったい何してるんだろう?そんな風に思っていた時期もあったけれど。
自分も年を重ねて、またゆっくり話を聞いてみたい。そんな機会が作れないかな。そう思っていた矢先の訃報だった。


お通夜の席でわかったのは、3年ほど前に彼女が初めての子どもを授かったまさにそのとき、自分の身体に宿る病についても気付かされたらしい、という残酷な事実だった。
子どもが産まれることはなかった。


艶やかに微笑む遺影はやっぱり美しくて、彼女とその家族にふりかかった現実とがどうにもうまく結びつかない。

長い闘病生活を支えた強さのゆえか、ご両親も彼女の夫と思しき男性も、涙を浮かべながらなぜかうっすらと微笑んでいた。彼女にゆかりのある人たちらしい佇まいだった。

そうだ、私もここできちんとお別れしないと。そう思った。



Yさん、お久しぶり。
相変わらず美人だね。

なんだか嘘みたいだよ、そのぱっちりした目と大きな口で笑ってくれない貴女に会うなんて。


あのとき。

手紙に返事を書けなくてごめんなさい。ごめんなさい。
私は名ばかりの先輩で、貴女が私に向けてくれた好意にも応えられなかったどころか、最低限の礼を返すこともできませんでした。ごめんなさい。

あのときもいまも、もっといろいろ聞きたいこと、話したいことがあったのに。本当だよ。


――今さら遅いですよ、先輩。


そう、多分そう言われちゃうよね・・・


東京に初めて本格的な初雪が降った日。風は身を切るほどに鋭く、濡れた路面から伝わる冷気で足の裏から骨までが凍えそうな夜。


それでも、みんな貴女に会いたくて集まったんだよ。
相変わらず愛されてるね。うらやましい。

貴女らしい、本当に貴女らしいよ。




Yさん。

どうぞ安らかに。