失われてもなお残っている多くのもの


去年もこの日に書いたように、今日は父の命日。相変わらず何もしてないけど。

自分の中での父の存在が何か変わったわけでもないのだが、こんなものを見てしまったので、ちょっと父のことを思い出してみる。


ジョブズの妹さんは、弔辞の中でこう書いている。


 最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。


 ですが、私が驚くと同時に彼の病気から学んだことは、
 多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。


    妹からスティーブ・ジョブスへの弔辞*1


これはガンに限らず、少しずつ身体機能が衰えてくる病気にかかった患者の家族なら、大なり小なり経験していることだと思う。
この文章のあと、ジョブズが練習をして歩けるようになったとあるけど、それも一刻のことだったろう。

末期になれば、先週出来たことも今週は出来なくなる。その過程をゆっくり見せつけられるのが、死を間近に控えた人と共に歩んでいくということだ。


それでも。身体は徐々に動かなくなっていくのだけれど、「なお、多くのものが残っている」ことを私も父の闘病生活で知った。

もはやベッドから動けなくなった父は、よく「むすんでひらいて」の動作をしていた。
人には年齡より若く見えると言われ、実際スキーを好んでいたほど活動的だった父。それが、わずかに残った体力で腕を上に向けて、おぼつかない動作で指を曲げては伸ばしている。


身体の自由がなくなったことに一番歯痒さを感じていたのは、他ならぬ父に違いない。けれど、父はあのとき自分なりに「失ってもなお(自分に)残っているもの」を確かめていたのだと思う。

自分よりやせ細ってしまった父の、そうした弱々しい部分。それを直接話題に出来るほど、当時の私には余裕がなかった。
病室に入って何食わぬ顔で声をかけ、その仕草について父と会話することはなかったけれど。
不器用な手でむすんでひらいてをしていた父の姿を、いまも忘れることは出来ない。


ついに手指すら自分の力で動かせなくなってから、父と母はよく病室で一緒に音楽を聴いていた。
クラシックの名曲だったり、昔の童謡だったり。特に会話もなく、ただ同じ空間で同じ音を聴いている二人。

ふと「何かほしいものある?」そう聴いた母に、父は掠れた声で答えたという。


「あんたがいればいい」


実際には父の死に目にも立ち会えなかったし、いろいろ思い残すものはあるのだけれど。

こうして父のことを思い出すこと。これもまた紛れもなく「残っているもの」の一つなんだなと、そんな風に思ったりしている。

*1:まあしかし、ジョブズに関しては美談がすべてとも思っていませんがね。いろんな角度からいろんな見方で切ると全然違う人になるということがすでにある種の才能というか→http://anond.hatelabo.jp/20111101211541