何回目かはもう数えたくないものの


誕生日であった。本来は自分が祝ってもらうより、産んで育ててくれた親への感謝の意を表すべき日とも思ったけど。実家の母にはメール一つで済ませてしまった。申し訳ない。


今日一つ増えたその数字は、どこをどう受け取っても立派な「ちゅーねん」である。歳なんて誰でも毎年公平にひとつずつ取っていくもの、特別嘆くものでもなし。と、達観出来ればいいけれど。残念ながらそこまで割り切れるほど成熟してもおらず。


柔術と出会えたのは嬉しいことだけど。それがあまりにも遅すぎたことの切なさ、淋しさをつい感じてしまう。
気力くらいはキープ出来たりするかもしれないけど、体力はよくて維持、まあ普通はゆっくり衰えていくわけで。技能があまり目に見えて向上しない中、至らない部分にはやたら気付く試合前のナーバスな心境のせいで、歳を取ることをつい悲観的に感じてしまったり。


「健康に、平穏に、歳を重ねられるということが幸せなのではありませんか?」


そう言ってくれた人は、やはり格闘技(フルコンタクト空手)を嗜んでいる人で。40歳を超えてからもなお、フィジカル、メンタル、テクニカル、すべての面で日々成長を実感しているという。うらやましい。いつか自分もそんな風に思えるようになるかな。


歳を取ること自体は、決して嬉しくない。
でも、来年までにもうちょっと柔術うまくなるかも。そう思うと、来年の自分は少し楽しみに思える。

未来はもう、底抜けに高く、明るいものではないことをいまの私は知っている。
でも。
限界があることが不幸と同じではないことを知り、いま自分の立っている場所に感謝出来る程度には、歳を重ねてきたんだな、と思う。


何もない予定だったのを愚痴ったら、急遽家族で近場のレストランに食事にいくことに。
食後、お店が暗くなったと思ったら。蝋燭の立ったデザートとオルゴールの「Happy Birthday」のサプライズ。無邪気に大きな声で歌う3歳児と、もはやそんなことが気恥ずかしいだけの生意気な10歳。レストランを予約してくれた夫。メールを寄越してくれた母。ありがとう、いつも感謝しています。


TwitterFacebook、メールでお祝いのひと言をくれたいろんな人たち。どうもありがとう。

これからもどうぞよろしくお願いします。