文字どおり『日々の暮らし』


2011年東北地方太平洋沖地震命名された「ソレ」に遭遇したのは、3月11日金曜日の14時46分。

下の娘の通う保育園で卒園&進級式があったので夫と共に午前中はそちらに出席し、午後は娘を引き取って親子で外食した。


うららかな春の日。お祝い気分のランチ。近所のおしゃれなカフェで、昼からワインなどいただく。頑張ってお遊戯を覚え、クラスのだれよりも大きな声で歌を歌った(ように見えるのは親の贔屓目)娘に、チョコレートアイスと焼きリンゴのデザートを。
お腹も心も満たされて帰宅し、娘を昼寝させて「そろそろ寝入ったかな?」と思ったそのとき。


最初感じた「ああ、地震ね」程度の横揺れが、ギシッとバルコニーに面したサッシが軋み、家中がガタガタとなるほどの大きさに。
あまりにも長い揺れ。どんどん強くなっていく。
リビングにある金魚用の水槽からはついに水が溢れ出した。食器棚からはかろうじて物は落ちて来ない。

幸い寝室には上から降ってくるものを置かないでいるので、とにかく娘の布団に上から覆い被さる。
仕事部屋にいた夫が、必死で本棚を押さえている声と気配がする。


ハッとして起き上がり、玄関の鋼製ドアを開ける。関東大震災を経験した祖母が、地震のとき必ずやっていた行動。
ドアを固定してとりあえず閉じ込められないようにしてから、急いで娘のいる寝室に戻ると、さすがの揺れに娘も起きていた。
怯えさせないように、大丈夫、大丈夫と笑顔で抱きしめる。パパもママもいるから、大丈夫だよ。


テレビをつけてみる。どの局も軒並みニュース速報。震度6強や7の表示に思わず目を疑う。が、震源から離れた東京でこの揺れ、確かに並の大きさじゃない・・・

夫がまず実家に連絡し、義両親の無事を確認。が、次いで私の実家の母に連絡を取っても、固定電話、携帯電話共に連絡不能。メールを打つが返信はない。

結果的に出先にいた母は無事だったのだが、住んでいるところが海岸付近なので安否が確認出来るまでの3時間、気持ちが落ち着かなかった。
関西にいる弟夫婦も心配して連絡してくる。親戚の様子も気になるけれどやはり連絡はつかず。


余震が何度も続く中、学校から何も連絡がないものの、やはり息子を迎えに行くべきでは?と判断し、夫が出かけた。しばらくして息子を伴って帰宅したけれど、短時間で家族が無事集合出来たのは、この日が娘の保育園行事の日だったから。
通常であれば自宅まで徒歩3時間はかかるであろう仕事先に出社していたはずなので、私自身が帰宅困難者の一人になっていたに違いない。ものすごい偶然。


その後はネットにかじりついて、テレビもつけっぱなし。
徐々に明らかになる被害状況と帰宅困難者の状況に、ただ胸を痛めるのみ。


一晩明けて、明け方4時頃の余震でまた目が覚める。
思わずテレビをつけ、気仙沼の炎や水に覆われた仙台市の様子に唖然。阪神大震災のような景色を再び目にすることになるなんて。


ツイッター上でもやはり不安感いっぱいのツイートが溢れている。
だれかの「震災の知恵。いつ断水、停電するかわからないからお米は炊いておくこと」、という文字が目に飛び込んでくる。
そうだ、ご飯炊こう。


朝起きた家族たちは、山と積まれたおむすびに怪訝な顔。でもまだ明けきらない夜明けの中、ご飯の炊ける匂いにとても穏やかな気持になった。あたたかく、ふわりと家の中に満ちる蒸気。
日々の暮らしの中にある何気ない行為が、こんなにも人の心を落ち着かせるなんて。


だれにも当たり前の「日々の暮らし」。
それが、いきなり断ち切られる不条理。
怪我ひとつせず、こうして生かされている自分たち・・・


いま現在、自分が何をすればいいのか、まだわかっていない。
節電、募金くらいしか思いつくことがないけれど。*1


とにかく、祈ろう。
そしてやるべきときに、自分のやれることをやっていこうと思う。

*1:ツイッターでつぶやくのはどのツイートをRTすべきか判断に迷うものもあり、個人的安否確認以外には今は使っていない。自分がつぶやくべきことがはっきりしている内容でない限り、当面そんな感じになると思う