PASSED AWAY
大学時代の恩師が亡くなった。
今シーズン何度目かの「今年一番の冷え込み」と言われた今日。底冷えのする空気の中、葬儀に参列した。
専攻した学科は、新設されたばかりで生徒数が少なかった。ゼミの担当教官ではないものの、当時はそれなりの密度でつき合いのあった女性だ。
しかし在学中に建築設計に向いてない自分を悟り、かといって別の道に飛び込む勇気もなく、小さなゼネコンに就職先を決めてからはあまり大学に寄り付かなかった。
多分、自分なりに敗北感があったせいだと思う。
80歳で亡くなるまで、独身だった。学校にはそういう先生が他にもいて、一緒に女性だけの建築設計集団の先駆けのようなことをやっていた。
大学を退官されてからのことは詳しく知らないが、ここ2年ほどはガンを患い、闘病中だったと聞いた。2月に年賀状の返事が来るようなトボけた先生だったが去年は返事がなく、今年もまたそうだったらしい。
「でもまさか、亡くなるなんて・・・また2月に返事、来ると思ってた」
年賀状をやりとりしていた友人がそうつぶやいていたけれど。そう、そんな風に人と別れる日が来る。自分たちがもはや、そういう年齢になったという紛れもない事実を思い知る。
喪主を務めたのは先生の姪にあたる女性だった。独身で亡くなれば、それは当然のことだ。配偶者でも、子どもでもない人が喪主を務める。
姪御さんは既に父を亡くし、伯母を亡くし、恐らく30代と思しき若さでたった一人、すべてを取り仕切っていた。きりっとしたパンツスーツ姿で涙をこらえながら気丈に振る舞う彼女の姿に、なんとなく若き日の先生をダブらせて見ていた。
お茶目な先生ではあったが、非常に怒りっぽくもあった。遺影に映った相貌のまま、少女のような雰囲気を持った人だった。
それが、目の前で木の棺に横たわっている。
もう重力に逆らって頬の筋肉を動かし、怒ることも笑うこともないその顔。安らかではあるのだろうけれど、それは棺と同じ無機質な存在に思えた。
「もうこの人は、終わっちゃったんだな。80年間、お疲れさまでした」
最期の別れをしながら心の中でそんなことをつぶやき、首を垂れる。不謹慎な言い方になるけれど、悲しみよりも「終わったんだな」という思いの方が強い。私のこの冷徹さは、どこかが欠落している故なのだろうか?
センター試験二日目。全国の天気は大荒れ予報だったけれど。
骨まで凍らせるかと思う寒さでありながら、東京は鮮やかな日差しと真っ青な空。
「先生らしいよね、この天気。大荒れのはずだったのにさ」
なんだか少し後ろめたくなり、そんな風に口にすると。
「そうだね、先生らしい」
「本当だ。なんだか先生っぽいね」
あの日。
同じ教室で机を並べ、同じように課題の提出図面やレポートの締切ギリギリに、同じように慌てていた友人たちもみんな、そう言って笑った。