自分に出来ることは何だろう?(その4)〜地域の持つ力について〜

大阪の2幼児遺棄死亡事件に関連した自エントリ

 1.自分に出来ることは何だろう?〜大阪2幼児遺棄死亡事件について〜

 2.自分に出来ることは何だろう?(その2)〜臆せず通報!〜

 3.自分に出来ることは何だろう?(その3)〜児童相談所の役割について〜


だいぶ間が空いてしまったけど、児童相談所(以下児相)での勤務経験のある人に会って話を聞いた結果報告シリーズの続き。


唐突だけど、育児支援の場でよく聞く「地域の力」。それがいまいち自分にはピンときていなかった。

仕事をしている人にはありがちだろうけど、外に働きに出てしまうと平日昼間の地域での活動って、割と他人ごとになる。子どもが小学生になって初めて、「こういうことやってる人/団体があるんだ」、と感じたというか。


子どもが乳幼児の頃から、育児サロンとか子育て広場に顔を出す人ならまた違うだろう。ただ自分自身が、どうもそういう「ママの集い」的な雰囲気が苦手だったせいもあり、育児支援はもっぱら自分の身内や、せいぜい友人に頼む程度だった。プロに頼むのはお金がかかるし、何より急な要望に応えてもらえない。

以前の自分は、地域に根付くことにあまりいいイメージを持てず、白状すると「近所に住んでるっていうだけで、他人の子の面倒を押し付けられるのはご免だな」、という気もあった。面倒なことは家庭内だけで完結させておきたかった。ええかっこしいだと、我ながら思う。


が、その「地域の力」が、児童虐待においてはとても大事なのだと、元児相の彼女は言う。
「児童相談所の役割について」のエントリで、児相は児童虐待の専門組織ではない、と書いた。基本的には各自治体が、育児の主体的担い手である母親を支援する。それが間接的に子どもの福祉にもつながる、というスタンスだ。ただその中でも、特に難しいケースが児相に持ち込まれ、児相は関係する機関、団体、組織と協議して「もう大丈夫かな」と判断された段階で、そのケース(=家庭、子どもたち)はまた自治体の支援の場に戻ってくる。親の暴力により一時保護施設に保護された子どもは、そこから児童養護施設に行き、不安な気持ちを抱えたまま、再び親と一緒に生活することになる。


一度児相が介入したことで、その家庭は「分離」させられる。分離されている間に親の暴力から逃れたとしても、「家族の再統合」が目標とされているため、結局は親の元に戻ってくる。親の側の行動が改善されていればともかく、また以前と同じ生活になる可能性もあるだろう。実際、そうして家庭に戻された後、再び虐待を受けた果てに殺されてしまった子もいる。

そのことは、子どもにとってはすでに落ちていた泥の中に、改めて二度、三度尽き落とされるのと同じだ。彼女自身、担当したケースを振り返って、「だったらあのまま保護しない方がよかったんじゃないかと、何度も自分を責めた」ケースがあったことを告白してくれた。


そういえば先頃放送されていたドラマ「Mother」では、虐待を受ける児童を自ら連れて逃避行に出る女性教師が主人公だった。元児相の彼女も「あれはドラマだけど、気持ちはとてもよくわかった。実際、自分がこの子の親になる、と思い詰めたケースもあった」と語ってくれた。

だが、そうした関わり方はプロとしては失格なのだそうだ。児相職員として働いている時間だけ、そのケースの担当だというスタンスでないとダメになる。あのとき、(該当児を)自分の子にしたいと一瞬でも考えた自分はプロ失格でした。彼女はそういって少し涙ぐんでいたけど。そう思うのが普通だろう。

本当に、精神的にタフでないと続けられない仕事だと思う。一刻も早く、本当のプロ集団として活躍できるように、スタッフの質と量が拡充されればいいのに・・・


外野が、子どもの命を救うために、とにかく虐待家庭のドアを蹴破れ!子どもを救って施設に保護しろ!というのは簡単だ。でも保護された子どもたちは、一体どこに辿りつけば幸せになれるというのだろう?生まれ育った家庭や親から切り離されて、児童養護施設に送り込まれればバラ色の生活が待っているかといえば、もちろんそんなことはなない。児童養護施設は集団生活であって、こぢんまりとした家庭の中で、オンリーワンの存在として尊重される生活を送る場ではないのだから。
(誤解してほしくないけれど、上記の表現は児童養護施設に対して文句が言いたいわけじゃないです。大人数と小集団では暮らし方が違う、ということを言いたいのです)


で、この、児相の範疇から自治体の管轄に戻ってきてから必要になるのが、「地域の力」に他ならない。
自治体に戻ってきてからも、当然児相から引き継ぎはあるわけで、それを担うのが民生委員の子どもバージョン=児童委員や保健師、といった方々の存在らしい。
健診でお世話になる保健師さんはともかく、児童委員及び専門知識を持った児童委員である主任児童委員さんについては、その存在を初めて知った。*1
ただ、あくまで個人の方がボランティアでやっている(!)*2仕事なので、その存在が公に宣伝されているわけではない。自治体のHPに名前が載ってるとか、とてもそういうレベルではないのだ。
ちなみに自分の住んでいる地域(○○町の何丁目、という程度)の民生委員兼児童委員さんは3名。それとは別に主任児童員さんは2名いらした。これ、区の福祉担当の部署に直接電話して聞いたけど、これじゃ普通の人はなかなかアクセス出来ないだろう。それと、X丁目〜Z丁目、みたいな広範な地域をたった3名の専門家で?という点も気にもなった。


アクセスしにくい主任児童員さんたちだけど、児相なり福祉課なりから依頼を受ければ、地域で暮らす被虐待児のいる家庭を身近な立場で見守ることが出来る。彼女が語っていたある例では、心配なケースがあっても、児相に上がってくる情報だけだと本当にその家庭の再統合がうまくいっているのか、いないのかが見えにくい。それを、主任児童員さんが地域の人にヒアリングすることで「あそこのうちのお父さん、最近では子どもさんと公園で遊んでる姿、お休みの日にはよく見かけてますよ」、みたいな情報が入ることで、とりあえず悪い方向にはいってないらしい、と情報が補正されるというのだ。


これを、密告社会みたい。イヤねえ、と捉える人もいるかもしれない。でも、子どもを持つって、大なり小なり「他者からの介入を受ける」ということだと思う。
道端で「あら、可愛いわねー、いくつ?」と言ってもらえるということは、「○○さん!子どもさん大声で泣いてるけど、大丈夫なの?」と家のドアを叩かれることもある、ということだ。いや、本当はそれ、ヤだけど・・・いきなり児相に通報、よりはいいんじゃないかな。少なくとも、私はその覚悟をしました、ハイ。ま、通報されたとしても、それも覚悟しようと思う。だって、子どものこと気にかけてくれたから通報されちゃうんだもんね・・・*3


児童虐待に関しては、民間でいろんなことをやってる団体もあるし、今回の事件をきっかけに、個人で様々な活動を試みている人たちがいるのも知った。虐待マップ(は、ちょっとプライバシーの観点からまずそうだけど)や育児支援施設マップを作ったり、虐待事件の厳罰化署名をしている人、虐待防止セミナーの主催、等々。
でも、行政のやることとダブってたり、すでに行政にあるものの存在を知らないで行動してる、というのもたくさんありそうな気がした。それというのも、こうした行政が行っていることが、肝心の「届けたい相手」に届いていないから、だと思う。


主任児童委員さんがもっと数が増えて、それこそ育児サロンにちょこちょこ顔出してて、本当に近所の人だったりしたら。いきなり「私のしてることって虐待?」と思い詰めて、でも児相にはなかなか電話できない、という人にも多少アクセスしやすくなる、ということはないだろうか。
当人じゃなくても、ちょっと気になる家庭があるけど、いきなり児相に連絡するのはなんだか密告みたいで・・・なんて思った時。近所に気軽に相談できる人が主任児童員としていてくれたら、相談しやすいような気がする。


そして一番いいのは、自分自身がだれかの「気軽に声をかけやすい人」になれていること、だと思う。
私自身、地域の力に頼りきれない育児をしてきたので、偉そうなことは言えないけど。

同じ保育園のお母さんたちや、何より子どもたちには、なるべく声をかけようと思ってる。本当は人の顔覚えるのが苦手なのでw、大したことは出来ないんだけど。

雨の日、傘もささずに下校してる子に「大丈夫?傘貸すよー」と声をかけたり、毎朝とぼとぼ歩いてる子に「おはよー。どうしたの、お腹でも痛い?」と声かけたり。保育園できちんと脱いだもの畳んでる子のお母さんには「すごいですねー!」とか。ちょっとあざとい?いやいや、でも本当に心配だったり、へえーすごいなあ、と思ったときしかやらないからw あくまでその日に、自分にできる範囲での声かけは、これからもやっていこうと思ってる。


子どもは照れ屋さんが多いから、無視されることが非常に多い。でも、それでいいんだ。もう細かいことは忘れちゃったけど、自分も子どもの頃、緑のおばさんに声かけられてイヤイヤ返事してたし。とにかく、相手が大人でも子どもでも、「あれ、だれか見ててくれるわけ?」な気分があると、ちょっとラクチンなんじゃないだろうか。

気軽に声かけられない関係の人に、家庭内のゴタゴタ、まして虐待事案なんて相談できない。ええかっこしいな自分だからこそ、そうやって家庭内にこもりたくなる気持ちはとてもよくわかる。


自分の住んでる地域で、虐待事件なんか起こらない方がいい。それを防ぐ「地域の力」って、地域にある行政の力や、どこかのだれかが発揮してるものすごい自己犠牲パワーじゃなくて、普通の人が普通にやれてる範囲の、小さな力の集合体だといいのに。

もらいもののおすそ分けからでもいい。とにかく自分のできることで、ささやかに、ゆるく、自分の周囲の人とつながれる方策を今後も模索していこうと思う。


※これでも十分長いんだけど、まだ続くような気がします・・・気長にお付き合いいただければ幸いです。

*1:児童委員さんは民生委員と兼務だけど、主任児童委員さんは児童福祉に関する専門教育を受けた方が任命されるそうです。

*2:出るのは交通費だけだとか・・・なぜ無償・・・

*3:ただ、彼女が言うには、数は少ないけどその家庭とモメて、半ば嫌がらせのように虐待通報する、という人もいるらしい。なんだそれ。ま、同じ人から何度も何度もあるから、大体わかっちゃうらしいですけどね。