問題解決へのアプローチ(小学生編)


新学期。上の子どもは忘れ物や学校でのルール外のことに割と細かいタイプ。決してイイコなわけじゃなくて、基本から外れることにより自分が友だち集団から阻害されることにものすごい恐れを抱いているだけ。

で、明日の体育で持っていく体操着がない、と夕飯前にひと悶着。そういえば春休み前、持って帰って来た記憶がない。

別に一日くらい体操着なしでもいいじゃん。ダメなら見学させてもらえばいいことだし。というのは大人の理論。


明日の朝学校行ったら、忘れ物品置き場を探してみなよ、と言えば

「そんなの、ないに決まってる。だって春休み前に全部捨てちゃうって言ってたもん」

なかったらしょうがないけど、とりあえず探すだけ探せば?と言えば

「探してもなかったら、どうしたらいいの?体操着持って来ない子、他にいないかもしれない・・・(号泣)」
*1


新しいクラスに期待があっただけに、新学期早々自分が失敗した事実を受入れたくないのだな、と思った。
そういうことは、大人でもあるよね。
仕方ないので、叱り飛ばしモードから労りモードに切り替える。


春休み前にもらった、前年度の通信簿を出させる。
一年間のうち194日の授業日数。一日も休まず登校した事実を目で見せる。

君は194日間毎日ちゃんと学校行って、きちんとやってきた。よくできましたの○の数だって、ほらこんなにある。だから、明日一日体操着がないことくらいで、そんなに泣かなくても大丈夫。
まずは明日、忘れ物置き場に体操着がないか確認すること。
なかったら担任の先生に、体操着を持ち帰るのを忘れて家にも学校にもないことを正直に話すこと。
出来れば普通の服で体育参加したいけど、だめならこういう事情なので見学させてほしいと伝えること。

そして何より、忘れた事実を謝ること。もうしないよう気をつけると誓うこと。


一応、こんな風なことをなるべく優しく、冷静に話したつもり。
子どもは、もう号泣はしないでこちらの目を見ながら黙って聞いていた。


両親は共稼ぎで忙しい中、それなりに自分を育ててくれたと思う。もちろん感謝している。でも子どもが失敗したとき、直接的な解決法を考えてはくれても、別のアプローチで物事を解決することは教えてくれなかった。
お陰で大人になる過程で、そのスキルを身につけるのにえらい苦労をした。

また、物事の負の面に目がいくのはやむを得ないけど、行き過ぎたマイナス思考で自分の首を絞めてしまうのもよろしくない。このクセとは、未だに自分自身が格闘中だ。


具体的に言うと、体操着の例でいえば夜中に雑貨店に電話をかけまくり、体操着を新たに買う、ということが前者だ。確かに翌日、子どもが心配する種はなくなる。けど、恐らくまた別のものを忘れる。別の失敗をする。実際、自分がそうだった。
そういうことではなく、自分の失敗の尻ぬぐいを自分でする。こういうことについて、そろそろやれてもいい年齢なんじゃないか。そう思った。雑貨店に電話してくれた夫とは、今日の所は体操着は買わずに様子を見よう。そう話し合った。

後者については、とにかくいろんな人に話して、自分のマイナスな感情を薄める。その方法を身につけてほしいと思う。だれに、どこまで話すかは、もっと大人になってから学ぶ必要があるけど。


夕食後、夫に子どもたちを風呂に入れてもらう。風呂場から、さっき私に言われた「明日どうしたらいいか」について、復唱している子どもの声が聞こえてきた。
明日、どうなるかな。うまく対処出来るかな。


学校の中で起きたことに自力で立ち向かい、親や周囲の助力を得ながら解決していく。きっとこれから、もっと難しい内容で子どもたちの身に降りかかってくることだろう。
自分だけで悩んで、自分を追い詰める道を選んだり。受け止めることが出来ずに他人に問題を預けてしまったり。

そういう子どもにならないよう、これからも気を配っていかなくちゃいけないんだろうな。
こちらもそのための精神的・時間的リソースを捻出すること、覚悟しておかなくては。

ふう。頑張ろっと。

*1:このマイナス思考っぷり。あっぱれ。さすが私の子w