偶像と等身大

私が好きになるアーティストに共通して感じるのは、「距離感のとり方のうまさ」だ。

距離をとる対象はそのアーティストごとに異なるけれど、そういう風に感じさせられる人を好きになる(本当のところは知らない。あくまで自分の受け取り方の話)。


素の自分と、偶像としての自分。それをきちんと把握しているな、と感じられる人でないと、安心してファンになれない。

素の「池田聡」という人がどういう人なのか、私は知らない。ただなんとなく、彼が歌う曲に出てくるキャラクター ― 恋人にはなれない人を好きになり、その関係に苦悶する男 ― とは180度違う人であろう、とは思う。かなり冷静で客観的で、でも普通に優しく誠実。そしてたまに皮肉屋。とかねw(いや、あくまで想像ですよ、ひょっとしたら妄想も入ってるかもだけど)

そんな普通の人が、手の届かない女性(ひと)への愛に身悶えし、時に激情し、秘めた思いに胸を焦がし、涙を流す。そういう女々しい男像を「演じる」。そこがいい。
そう、「演じているキャラクターなのだ」と安心して思わせてくれるところが、私にとっては重要なのだ。


じつを言えば、ブラジリアン柔術の動画で楽しそうに技をかけられている男性と、美しい声で歌っているボーカリストと、歌の主人公である女々しい男たち。これらが私にはどうしても一致しない。みんな全部別の人なんじゃないの?と、デビューしてからの途中経過を見ていないだけに、余計にそう思う。

・・・でも、同じ人なんだよなあ。不思議。*1


で、微妙だな〜と思うのが、アルバム「Living Music」。この中でも「池田聡」は、誠実に人を愛しつつ、時に許されない愛に苦悶するキャラも「演じて」いるのだけれど。
他のアルバムと違って、これは作詞・作曲すべてが「池田聡」である唯一の作品だ。他のアルバム曲よりも、微妙に「演じてるんだよね?でも・・・ひょっとしたら、じつは本当なんじゃ?」と思わせる度合いが高い。気がする。

いずれちゃんとしたアルバム・レビュー(という名の単なる感想)をやってみたいけど、それまでもう少し「池田聡」という人の「偶像」の部分と「等身大」の部分について、敢えて彷徨っていたいなあ、などと考えております。


「不倫とかしちゃダメ!」って言う人が、本当は・・・だったら。

楽しいよねぇ〜、そういう妄想するのってw

*1:そう思われること、多分ご本人としては「しめしめ」って感じでありましょう・・・はははっ、ま、いっかw