プレイバック2009(前編)

ちょっと放置してたら、もう大晦日だよ!
てことで、軽く今年を振り返ってみようと思う。

個人的には、いま大きな低迷期にある。でも、そんな時期は以前にもあったし、段々と「新しいフェーズに向かうための準備期間なんだ」と思えるようになってきたことは、自分としてもよかったと思ってる。

去年の10月から少しずつ違和感は感じていて、それが外圧の形で顕在化し始めたのが1月、2月あたり。でもそのときはまだそれほど問題を自覚してなかった。
事態の収拾を図ろうとして、徐々にドツボにはまったのが3月〜4月。5月のゴールデンウィークあたりから、亀裂は決定的になった。それでも、自分を消して相手に合わせることでなんとかしようとしたけど、そんな方法が解決策になるわけもなく。

そこで、相手と真っ向勝負する方法もあったと思う。でも、それすら嫌になっていた。相手を自分の世界から消さないことには、自分が消えそうな気になっていたし。
とにかく「一時戦線離脱するので、あとはよろしく」、と接触を割けることを表明したのが6月だった。

鬱かなあと思ったけど、睡眠障害はないしまだなんとかなってたので、違う病理かなあと思って心療内科に行ったのが7月末。本当はもっと早く診察してほしかったけど、いまちょっと大きめの精神科外来はどこも予約でいっぱいなのだ。
この、戦線離脱はしたものの診察は受けれらない、という状態の時期が、精神的にはかなりしんどかった。予約の電話を入れる段階でもう、すでに泣きながら電話してたくらいだし。

落ち込んでる間は、希死念慮まではいかないまでもホームに滑り込んでくる電車を見ては「あれにこのスピードでぶつかったら痛いだろうなあ」くらいは考えていた。当然、家事はロクに出来ない。週の半分くらいは店屋物を取ってなんとかしのいだ。食洗機があったのは本当に不幸中の幸いだw

ようやく診察を受けられた頃、自分が離脱したあるイベントの成功報告があった。「うまくいったから、気にしないで」「いまはとにかく体を治して」と気遣ってくれるメンバーに対し「成功してよかった」「みんなに感謝しなきゃ」と思おうとした。でも、心の底で「もうどうでもいいや」、と全てを放り出している自分もはっきり自覚した。
「あの場所に、そんなに執着する必要があったのか?」ということを徐々に考え出したのは、この頃かもしれない。

診察結果は、途中で通院を止めたのでわからないままだ。適応障害かひょっとしたらパーソナリティ障害の可能性もあるけど、多分病気と言うほどではないでしょう、という判断が途中であったので、もうそれでいいやと思って行かなくなってしまった。

私が知りたかったのは、病名ではなくて「どうしたら今のつらい状況から抜け出せるのか?」ということだった。だから、自分でもいろいろ調べてみた。
当時の読書録を見ると、統合失調症患者の本や鬱病アダルトチルドレン関係の本や、レイプによるPTSD患者のトラウマ克服本などのドキュメンタリーものが圧倒的に多い。これを隔週で4冊ずつ毎回借りていたので(一過性の読書傾向だと思ったので、すべて図書館で借りて済ませた)、家族からは「そんなの読まない方がいいんじゃない?」と心配されていた。でも、ああいうものを読まざるを得ない時期だったんだと、今は思う。とにかく、情報の「量」が必要だったのだ。(続く)