女友達

久しく会わなかった友人と昨日食事をした。子どもが三人、それも小学生ばかり。ずっと逃げ回ってしまったPTAの役員についになってしまい毎日大変、という彼女は、最後に会ったときより皺が増えてお腹が出ていた。
学生時代から、大きな目とむき卵みたいな小顔が目を引く人だった。子どもの頃からやっていたスポーツのお陰で、スレンダーで小柄な体型だっただけに、その変化が際立って印象に残ってしまう。表情まで険しくなったわけではないけれど、櫛も入れずに五月雨のような白髪頭をそのままにして現れた彼女に、正直言うと少し驚いてしまった。
でもすぐに「きっと自分も向こうから見たらそうなんだろうなあ」と思いなおす。どっちも子持ちで生活に疲れてるのは同じだ。

言いたいことはたくさんあった。
でも、彼女の方も同じみたいだった。

彼女が語る「歳下のママ友との軋轢」や「PTAがいかに自分の自由な時間を奪うか」。また夫の実家では自分は「嫁として認められていない」こと。その他諸々。ああ、いかにもこの年代の女同士の会話だなあと思った。そして、その話題にどっぷり浸っていられる彼女の強さを思った。

年齢にしては年甲斐のない音楽や映画、芝居の世界が好きな自分。所謂厨臭い歌詞とか、もう大好きだったりするし。でも本当は、本来ハマるべきである年代=10代〜20代が受け止めるのとは、違う感性でその世界を見ていることはわかっている。
現実逃避なのかもしれない。彼女の語るような世界の方が、本来の自分がいる場所なのだから。ライブや映画にいくら通っても、所詮青臭いだけのおばさんにしか見えない現実。それをきちっと自覚しておかなければ。

途中で映画や音楽の話を少し振ってみた。でも、彼女がその話題に乗ることはなかった。以前からかなり我の強い人だったけど、子持ちになって緩むどころか、益々強固な城壁を構築しているように見えた。でも本当は、私の話題の切り出し方がつまらなかっただけなのかもしれない。
懐メロ的な会話―「昔○○が流行ったよね」「そうそう、△△とかよくやったー」みたいな会話にはイラつく。だから現在の話をしたかったのだけど、そもそも彼女にはいま、そういう時間がないのだ。毎日をつつがなく済ませることで精一杯。実際、彼女はそう言い切った。


「じゃあまた。また会おうね」「年末年始、行事多いしお互い病気しないで乗り越えよう」「元気で」

駅の改札で、手を振って別れた。また数年後に会う時、お互いどうなってるんだろうか。
子どもが上の学校に進学して、また勉強や友だち同士のいざこざで悩んだり。子ども以上に、自分自身の状況にあくせくしているかもしれない。もっと自分の身体の衰えを感じたり、ああそうだ、親の介護が頭痛の種になっている可能性もある。

あんまり未来に過剰な期待を抱かず、過去に必要以上に負い目を持たず。いっそ彼女のように

毎日をつつがなくやり過ごすだけで精一杯

そんなもんだと諦めてしまえば、自分はもっと楽になれるのかもしれない、と思った。