借りぐらしのアリエッティ


先週のバルス祭りのあとだと盛り上がりには大いに欠けたようだけど。


―― 私はこの映画、大好きですよ!


というわけで、以下ネタバレまくり、かつ「ある少女の存在よって、突然に人生の見方が変わる少年」、というのが自分の好きな世界なので*1、ヒロインはもちろんアリエッティなんだけど、どっちかというと翔よりの視点での感想になっております。



劇場では観てなくて今回初めてテレビで見たけど。

小人族という種の滅びゆく運命に怯えつつ、ひっそり床下で暮らすアリエッティたちと、心臓病で手術が目前なのに、家族は大叔母(祖母の妹)しか身近にいない孤独な少年・翔。

明るい未来を呑気に信じられる立場でない彼らの物語。これを去年の劇場公開時ではなく、3.11以降の年末に見たことで、多分自分の中での印象がかなり影響されてる気がする。


冒険活劇もないし、ハラハラドキドキなエピソードやドラマチックな動きがないままラストに至ったことを怨嗟する感想が多かったけど、でも案外他人の目から見た人生だってこんなもんだ。

アリエッティたちにはものすごい冒険の「借り」行為だけど、人間からすれば単なる数メートルの移動に過ぎない。
床下という狭くて陽も差さないような場所、息を潜めた暮らしの中でも、室内を居心地よくしつらえて美味しい料理を作り、日々つましく質素に生きる。アリエッティたちの生活は、そっくり我々のそれと同じだ。

そもそも小人たちは、何か特殊な魔法が使えるわけでもない。ただ小さく無力なだけで、だからこれはやっぱり世界を変えられない我々自身の物語でもある。


見つかってはいけない人間に見つかったことから始まるアリエッティと翔の関係。それは「借り」た物のやり取りで少しずつ近づいていく。


1.角砂糖と手紙
最初はアリエッティが「借り」で落とした角砂糖。それを床下に「わすれもの」と書いた手紙と共に届ける翔。それをまた翔に返しにいくアリエッティ
この段階ではまだ翔にとってアリエッティは、母の話から興味を持った「小人という存在」なだけ。


2.キッチンセットと花・手紙
ドールハウスのキッチンセットを贈る翔。アリエッティたちの反応が知りたくて、庭に咲いている花に手紙(多分「気に入った?」とかなんとか書いて)を添えてまた床下に置く。

翔の無邪気なプレゼントのせいで引越しを余儀なくされたアリエッティは、その手紙を突っ返しに行く。←ここ、シークエンスの順番間違ってたことに再見して気づきました・・・orz

翔の「君たちは滅び行く種族」発言は唐突に思えるけど、アリエッティがああして真正面から翔に文句を言ったことで、自分も「毒を吐く」気になったのかもしれない。
目前に迫った手術への恐れ、手術してもよくならないかもしれないという諦め、どうして母親はこんな大事なときに自分のそばにいてくれないのか?という怒り等々、一見静かで物分りのいい彼の心の内にはこの時期、ものすごい嵐が吹き荒れていたはずだ。


3.洗濯ばさみとまち針
旅立ちの朝、別れ際に自分の髪を留めていた洗濯ばさみを翔に渡すアリエッティ。「これをそばに」、という言葉と涙とともに。

常に人間から「借り」ていたアリエッティたちが、それを「返す」。借りることで人間とつながっていたのだから、その賃借関係がなくなることは文字どおり二度と会えない別れを意味する。

けれど、ヤカンの舟で川を下るアリエッティの腰には、初めての「借り」で手に入れたまち針があるし、翔の手のひらにも洗濯ばさみがある。これは単に角砂糖を返すのとは違って、お互いが交わした思いの証だ。


アリエッティきみはぼくの心臓の一部だ。忘れないよ、ずっと


翔のこの言葉は、12歳の少年が言うにはしてはかなりませた表現だなあとは思うものの。
身長10センチの少女が、せまくてよどんだ自分の世界に風を吹き込み、去っていったことを覚えていられる少年なら、このくらいのセリフを言っていい。と、思う。


翔はずっと、自分の心臓の一部として、母の面影を探していたのかもしれない。

父と離婚したあと、世界を飛び回る激務(なんと外交官!らしい)のためなかなかそばにいられない母・奈津美。大叔母・貞子は手術前の翔を残して仕事をする彼女を責めるけれど、女手ひとつで病気の治療にお金のかかる息子を育てる彼女が、本当に翔を突き放しているようには思えない。


そもそもアリエッティたちが住んでいた家に小人がいる、という話は奈津美が翔に話して聞かせていたことだ。本当に彼女が翔を愛していないなら、そんな話をするはずもない。
ひょっとしたら翔の手術のあとに長めの休みを取るため、頑張って仕事にケリをつけているのかもしれない。

――というのは大人の思惑であって、子どもの翔には関係ない。あるのは「親の不在」だけだ。


そんな翔が、「たった一人生き残る最後の小人になるかもしれない」アリエッティに出会ったことで、手術を受けて自分なりに、自分の人生を生きていく決意をする。

親からの承認によって生きていた子ども時代が、この一週間の滞在で変わったのだ。彼はこれからだんだんと大人の世界に足を踏み入れて生きていくことになる。

新しい世界に響きわたる彼の鼓動は、紛れもなくアリエッティがもたらした変化によるものだ。だからこれは感謝の言葉であると同時に、お互い新しい世界に踏み出す同志としてのエールでもある。


好きなシーンは、アリエッティの母・ホミリーの奪還の途中。
パントリーの奥にホミリーがいることを確信した翔は、「ミルクちょうだい」とかなんとか言いながら、ハルさんの視線からアリエッティの姿を遮っている。
彼女はその隙に、釣り針をフックにしてロープを伝って食器棚から降りる。で、降りたあとにその釣り針がついたロープをくんっ!と引っ張るんだけど、多分そのとき針が翔の足にチクっと刺さってるんだと思う。

一瞬「痛っ・・・!」となる翔だけど、バレちゃまずいので当然そこは我慢。ここが妙にツボだった。


針の描写はなくて、ただ前半の「借り」のときそういう風にロープを使う場面が出るだけなので、ひょっとしたら深読みし過ぎかもしれないけど。


冒険する少女のために痛みを堪える少年、という描き方がこれまでのジブリものにない感じで新鮮だった。

単なる好奇心から小人を助けたい、と思っていた翔だが、わずかな痛みを引き受けることでアリエッティと共犯者になる。大きな場面ではないけれど、ここからアリエッティとの連帯や自分で自分の人生を受け入れる覚悟が定まったんじゃないだろうか?


こうした抑制的な表現は、監督の米林さんのセンスとか好みなのだと思う。
全般的に清潔で、寡黙で、とても堅実。作品全体からそんな印象を受けた。
(ま、だから地味って言われるのもよくわかるんだけどね)


宮崎さんの場合は、結構そこらへん隠微というか、女性像が画一的で*2ちょっと勘弁してねというところもあるので、個人的には米林さんが次回以降どんな作品を手がけるのか、とても楽しみだ。


全編を流れるセシル・コルベルの音楽がまたいい。
ハープを基本にしたケルト風の繊細な曲が多くて、特に翔に関する曲の歌詞は、彼の心象風景を補完しているかのようだ。


主題歌のArrietty's Songはもちろんオススメ。英語バージョンも日本語バージョンもどちらもよいです。

*1:冬のソナタ」とか「いちご同盟」とか。で、ヒロインじゃなくて男性側に感情移入する、といういつものパターンw

*2:基本、みんなお母ちゃんみたいにしっかりしてる。幼女でも少女でも本当の母親でも、みんなそんな感じ。